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「アンチ・オイディプス」より2

“子供の生命をオイディプス・コンプレックスの中に閉じ込め、家庭的諸関係を幼年期における普遍的媒介項とみなすことによって、人は無意識そのものの生産の働きと、直にこの無意識に働きかける集団のメカニズムを見失うことを余儀なくされる。

オイディプス主義 ― 《自然》と《生産》という途方もない工場を内輪の私的な劇場にかえてしまうものであった。

オイディプスは、まさに観念論への転回点なのである。― 欲望する諸機械の放棄。

オイディプス的精神分析に見られるような、無意識の諸総合の不当な使用を告発する。

オイディプスは厳密には決定しえないものなのである。・・・それだけにいたるところに見いだされるものである。この意味では、オイディプスは厳密には何の役にも立たないというのが正しい。
・・・オイディプスは、精神分析が世界の責任を逃れるために手を洗う泉である。・・・潜在的なるもの、反動的あるいは反作用的[反応的]なるもの。

極限を社会体の内部へ移行させること。・・・オイディプスはこの置き換えられた極限である。”

えー、(汗)
よくわかりませんね。

フロイト氏が、「無意識」を扱えるようにし、その事によって「意識」を分析する事が可能になった、その〈問題構成〉によって失われてしまった「可能性」を救い出そうとする試み。であると思います。「アンチ・オイディプス」という著作は。

「近代の終焉」という時代の大きな変化が、これまで有効だった数々の概念(ツール)を無効にしている事は確かですが、「オイディプス・コンプレックス」もその一つだと思います。
神を弾劾する「イオン」のほうが個人的にも好きです。

「アンチ・オイディプス」より

“「軍事装置を動かしまた供給する人々のみが、反人間的な企てに関わっている唯一の人々なのではない。数百万の労働者が無用の財貨や仕事を(あるいは、こうしたものに対する需要を創りだすものを)生産して、度合いは種々に異なってはいるが同じく反人間的な企てに関わっている・・・」 ”

今日はこれだけに・・・・。

「真理とディスクール」から『イオン』

大地から産まれたアテナイの初代の王エレクテウスの娘、クレウサ・・・
えー、ギリシャ神話を要約するのは手に負えません。
エウリピデスの「イオン」か、「真理とディスクール」そのものをお読みになって下さい。

“『オイディプス王』では、アポロンが最初から真理を語り、これから何が起きるかを正しく予言します。・・・人間は神が予言する宿命を回避しようと努めるのです。しかし最後には、アポロンが与えた証拠によって、オイディプスとイオカステは、自ら認めたくないと考えていた真理を発見します。”

“『イオン』では真理を発見しようとしているのは人間です。・・・わざと真理を隠そうとしているのはアポロンなのです。
『オイディプス王』における真理の問題は、いかにして盲目である人間が、神が語る真理の光によって、見たくないと思っていたものを見るかという道筋で解決されます。
『イオン』における真理の問題は、アポロンが沈黙するにも関わらず、いかにして人間んが知りたがっていた真理を(パレーシアを行使することによって)みずから発見するかという道筋で解決されるのです。”

クレウサがアポロンに手込めにされて産み、捨てた子がイオンその人である事が、
クレウサの、アポロン弾劾と、自己の弱さ、過ちを告発する自己告発の二部に渡るパレーシアの行使によって明らかにされる場面は圧巻。
神をも呪い、弾劾する「パレーシア」概念でもって、『オイディプス王』と『イオン』を並置し、分析するフーコーの〈問題構成〉は鋭いものがあります。

次回は「アンチ・オイディプス」の予定です。

「真理とディスクール」から離れる前に

今後の展望を…、「革命」につなげたところで次に進もうと思っているんですが、

「真理とディスクール」から、有名なオイディプス神話と対をなすようなギリシャ神話「イオン」の分析のさわりを紹介し、そのあと。
「アンチ・オイディプス」ドゥルーズ/ガタリ著の“アンチ・オイディプス”な部分だけ。
「構成的権力」アントニオ・ネグリ著 をすこし詳しく。
「帝国」同上 まで、寄り道しながらでもたどり着けたらと考えています。

壮大な構想の割には、行き当たりばったりな性格のせいで、どうなるかはわかりません。
ということで、今日は書評はお休みにします。

「自己のテクノロジー」M・フーコー他

「自己のテクノロジー」フーコー
“1)生産のテクノロジーがあって、そのおかげでわれわれは物を生産したり、変形したり、あるいは取り扱ったりすることができる。

2)記号体系のテクノロジーがあって、そのおかげでわれわれは記号や意味や象徴や意味作用を使う事ができる。

3)権力のテクノロジーがあって、それは個々の人間の行為を規定して、彼らをある目的もしくは支配に、つまり主体の客体化に従わせる。

4)自己のテクノロジーがあって、そのおかげで個々の人間は自分自身の手段を用いたり他人の助けを借りたりする事によって、自分自身の身体および魂、思考、行為、存在方法に働きかける事ができるのであり、そのねらいは、幸福とか純潔とか知恵とか完全無欠とか不死とかのなんらかの状態に達するために自分自身を変える事である。

これら四つの型のテクノロジーはそれぞれがある種の型の支配に結びつくけれども、個別に機能する事はめったにない。・・・それぞれの型は・・ある様式に置ける個人の訓練並びに変容を含んでいる。”

5)革命のテクノロジーがあって、それは・・・・そのおかげでわれわれは、今あるこの社会を変える事ができる。 (宮本浩樹)

・・・できる。はずです。

「真理とディスクール」を読む4

”自分が語る事のできる理性的な物語(ロゴス)と、自分の生き方の間に、ある種の関係が構築されている事を示せるかどうかが重要なのです。”

“その人間の言葉(ロゴス)と生(ビオス)が調和し、ハーモニーを奏でているかどうか。”

“この新しいパレーシアの目標は・・・ある人物に、自己と他者について配慮する必要があると納得させること・・目覚めるように、これまで受け入れていたものを拒み、これまで拒んでいたものを受け入れるように求め・・・自分の生き方そのものを変えること、他者との関係を変えること、自己との関係を変えること”

「自己への配慮」
「汝、自身を知れ。」よりも「汝、自身に気を配れ。」ですね。
明日は「自己のテクノロジー」をすこしやります。

「真理とディスクール」を読む3

“わたしの〈思考の歴史〉の方法では、それまで疑問も無く受け入れられていて、「問題」とは考えられていなかった特定の経験や実践、それまではなじみのものとして「沈黙」していた経験や実践が、どのようにして急に「問題」として感じられるようになり、議論や討論を生み出し、新たな反応を引き出すかを分析します。”

“それは狂気について、犯罪について、セックスについて、自分自身について、真理について、人々がどのように不安を抱き始め、気遣いはじめるのかを。歴史的に分析する・・・”

フーコーの言う「系譜学」ですね。

〈問題構成〉について
“ある特定の時点において社会が規制しようとするのは、まさしく現実に存在するものである。”
“問題が構成されたというのは、現実の具体的な状況にたいして、一つの回答が示されたという事です。”
“特定の問題構成は、歴史的な文脈や状況の効果や帰結などではなく、特定の個人達が示した回答だということです。”
“それは一種の創造です。しかしこれが創造であるのは、特定の構造において、この種の問題構成が行われるだろうと推測することはできないという意味においてです。”

神様じゃなく、人間がやろうとすると、こんな風になります。
「正しく問われた問いは、回答そのものである。」
じゃあ、問いの正しさはなにによって保証されるのでしょうか?

「真理とディスクール」を読む2

以下 ディオゲネス「第四講話」より

“勇敢な者が、他の勇敢な者を愛するのは、ごく当然の事だからである。臆病な者は勇敢な者を信頼せず、敵として憎みながら、自分のように卑しい人間は歓迎するのである。勇敢な者にとっては、真理と率直さ(パレーシア)が世界で最も心に快いものであり、臆病な者にとっては、へつらいと欺きこそがもっとも快いものなのである。臆病な者は、出会いにおいて自分を喜ばせてくれる人間の言葉に耳を傾ける。勇敢な者は、真理を大切にする人間の言葉に耳を傾けるのである。”

“人が武装しているということは、恐れているというしるしである。・・・奴隷が王になれないように、恐れている人が王になる可能性はない・・。”

“悪い王というものはありません。悪い善人がいないのと同じです。王はもっとも勇敢で、もっとも正義を尊び、もっとも人間的で、いかなる欲望にも動かされない最高の人間のことですから。”

ディオゲネスは、命がけで、王に諌言したキュニコス派の哲学者
「パレーシア契約」の限界を試し、それに挑戦するかのようなアレクサンドロスとの対話はスリル満点。

“私を殺せば良いのです、しかし私を殺すなら他には誰も、あなたに真理を語る者はいないでしょう。”

以下「法律」プラトン著より
“それはまさに神様のお仕事なのです。・・・しかし現状では、おそらく誰か大胆な人間が必要でしょう。率直に語ること(パレーシア)を何より重視し、国家と国民にとって最善と信ずるところを述べ、堕落した人々の中にあって、国制全体にかなったふさわしい事を定め、人間の最大の欲望に反対し、誰ひとり助けてくれる人がいなくても、ただひとり理性の導きのみに従うような人間がね。”

「人間の最大の欲望に反対し、・・・」
これは、生き延びたいという欲望を指して言っているのでしょう。

“自分の心をしっかりと神に結びつけておく事、それはなによりも自己を放棄して、すべての種類の自己欺瞞をなくす方法でした。これは倫理的な安定性と存在論的な安定性を確保するための方法だった。― 魂の堅固さ。”

やっぱり神様の出番なんでしょうか?


「真理とディスクール ― パレーシア講義」M・フーコー著 を読む

“制限の無い権力とは、そのまま狂気に結びついているのです。権力を行使する人間が賢い人間であるためには、だれかがパレーシアを行使して、支配者を批判し、支配者の権力と命令に制限を加える事が必要なのです。”

パレーシア:己が真実と信じる事を、恐れないで率直に述べる事。(ギリシャ語)
この概念自体が考察の対象だから、ここで定義付けすることは不適切。
便宜上、自分に不利益がある可能性があってもあえて自己の信ずるところを公に発言すること。と考えていてもいい。

制限の無い権力:現在、世界はこれによって支配されている。
人間の行動をドライブする最大の要因が欲望と恐怖であり、それが情報によってもたらされるとすれば、
欲望をマネージメントする最高のシステムである資本主義。
恐怖をマネージメントする最高のシステムであるテロリズム。
情報をマネージメントする最高のシステムであるマスメディア。
この三つのシステムが一体化した巨大で、なにものにも制限されない権力機構。
アントニオ・ネグリの言う〈帝国〉の中枢はこの権力機構であろう。
この「狂気」の権力がもたらす今日の「地獄」のような世界を「正常化」するためには「誰かが・・・支配者の権力と命令に制限を加える」必要がある事に間違いあるまい。

“お前が真実を語るなら、それがどのような結末をもたらそうと、罰せられる事は無い。罰せられるのは、不正をもたらした者であり、不正について真実を語るものではない。― パレーシア契約。”

これが本当ならいいんだが。

量子重力理論

2004.10/5(火)
「世界が変わる現代物理学」竹内薫 ちくま新書
モノからコトへ、物理学から事理学へ。ノードとリンク、ループ量子重力理論。

“われわれが認識する「時空」という概念は、数学的に二次的なものに過ぎず、原初のレベルには抽象的な「ネットワーク」しか存在しないのです。” これだな。