「真理とディスクール」を読む3 | 宮本浩樹のブログ ― アーカイブ ―

「真理とディスクール」を読む3

“わたしの〈思考の歴史〉の方法では、それまで疑問も無く受け入れられていて、「問題」とは考えられていなかった特定の経験や実践、それまではなじみのものとして「沈黙」していた経験や実践が、どのようにして急に「問題」として感じられるようになり、議論や討論を生み出し、新たな反応を引き出すかを分析します。”

“それは狂気について、犯罪について、セックスについて、自分自身について、真理について、人々がどのように不安を抱き始め、気遣いはじめるのかを。歴史的に分析する・・・”

フーコーの言う「系譜学」ですね。

〈問題構成〉について
“ある特定の時点において社会が規制しようとするのは、まさしく現実に存在するものである。”
“問題が構成されたというのは、現実の具体的な状況にたいして、一つの回答が示されたという事です。”
“特定の問題構成は、歴史的な文脈や状況の効果や帰結などではなく、特定の個人達が示した回答だということです。”
“それは一種の創造です。しかしこれが創造であるのは、特定の構造において、この種の問題構成が行われるだろうと推測することはできないという意味においてです。”

神様じゃなく、人間がやろうとすると、こんな風になります。
「正しく問われた問いは、回答そのものである。」
じゃあ、問いの正しさはなにによって保証されるのでしょうか?