「真理とディスクール」を読む2 | 宮本浩樹のブログ ― アーカイブ ―

「真理とディスクール」を読む2

以下 ディオゲネス「第四講話」より

“勇敢な者が、他の勇敢な者を愛するのは、ごく当然の事だからである。臆病な者は勇敢な者を信頼せず、敵として憎みながら、自分のように卑しい人間は歓迎するのである。勇敢な者にとっては、真理と率直さ(パレーシア)が世界で最も心に快いものであり、臆病な者にとっては、へつらいと欺きこそがもっとも快いものなのである。臆病な者は、出会いにおいて自分を喜ばせてくれる人間の言葉に耳を傾ける。勇敢な者は、真理を大切にする人間の言葉に耳を傾けるのである。”

“人が武装しているということは、恐れているというしるしである。・・・奴隷が王になれないように、恐れている人が王になる可能性はない・・。”

“悪い王というものはありません。悪い善人がいないのと同じです。王はもっとも勇敢で、もっとも正義を尊び、もっとも人間的で、いかなる欲望にも動かされない最高の人間のことですから。”

ディオゲネスは、命がけで、王に諌言したキュニコス派の哲学者
「パレーシア契約」の限界を試し、それに挑戦するかのようなアレクサンドロスとの対話はスリル満点。

“私を殺せば良いのです、しかし私を殺すなら他には誰も、あなたに真理を語る者はいないでしょう。”

以下「法律」プラトン著より
“それはまさに神様のお仕事なのです。・・・しかし現状では、おそらく誰か大胆な人間が必要でしょう。率直に語ること(パレーシア)を何より重視し、国家と国民にとって最善と信ずるところを述べ、堕落した人々の中にあって、国制全体にかなったふさわしい事を定め、人間の最大の欲望に反対し、誰ひとり助けてくれる人がいなくても、ただひとり理性の導きのみに従うような人間がね。”

「人間の最大の欲望に反対し、・・・」
これは、生き延びたいという欲望を指して言っているのでしょう。

“自分の心をしっかりと神に結びつけておく事、それはなによりも自己を放棄して、すべての種類の自己欺瞞をなくす方法でした。これは倫理的な安定性と存在論的な安定性を確保するための方法だった。― 魂の堅固さ。”

やっぱり神様の出番なんでしょうか?