読書日記2
0:33 03/05/28
「帝国」第3部まで読了、いよいよ危険になってきた。
“マルチチュードによる自律的な自己統治の追及”
“きみたちはアナーキストの一味にすぎないのだ、売出し中の現代のプラトンはそう言って私たちを罵倒するだろう。”
“私たちはアナーキストではなくてコミュニストなのだ。”
“生産的協働のネットワークのなかで構成される物質性という立場、生産的に構築され、自由という「共通の名辞」によって構成される人間存在(ヒューマニティ)という視野から語る。”
ぼくは、アナーキストだ。
2:00 03/06/02
“批判的に考え、リスクを背負うこと。”
“安全な避難場所を受け入れるなかれ。”
「帝国との対決」イクバール・アフマド発言集 D・バーサミアン インタヴュー 読。
サイード、チョムスキー、アフマド…しばらくここから離れられそうに無いな。
「帝国」は第4部、
“空気を吸って、秩序を吐き出す、というのでなければ、誰か他人から与えられた秩序に従うしかないのだ。” HM
15:44 03/06/04
“腐敗自体が〈帝国〉の実質であり、全体性だからである”
“これは革命だ。いかなる権力であれ統制できない革命”
「帝国」 読了。
15:49 03/06/06
「帝国」 再読、だ。 読了、とはいかないな。
汲めども尽きぬ泉・・・か、 “近代とはなんだったのか” “ポストモダンとは” ・・・ 霧が晴れて、視界がひらけた。
デカルトとへーゲルは10代の頃から敵だと思っていた。
スピノザ、ニーチェ、を歴史の中に位置づけることが、できた、か、完全には無理だな。
0:45 03/06/12
まだ「帝国」から離れられないでいる。なかなか本棚に戻せないのだ。
ファイルに作っている“読解”は10ページになった。
5.1から読み始めたから6週間かかったことになる。
しかし、読む前とは別人になったような気がする、いや実際に別人になっているな...
マルチチュードに...闘士に。
23:59 03/06/13
大きな読書が終わった、という感じで虚脱感のようなものがあるな。
PCを修理してネットが復旧した。 小休止。
「遠い場所の記憶」 E・W・サイード著を読んでいる。誰かの自伝を読むのは初めてか?いや「この人を見よ」が、あるか。
Out of Place...いるべき場所に居るのではないという感覚、か。
自分も感じていたこと、だが、まるで違う、な。
10:06 03/06/19
“モラル・エージェントとしての観念的な自己イメージに完全にその権威を依存している権力が紡ぎ出す、非の打ちどころのない善良な意図にもとづき誠実に行動するという神話を打ち砕き、その変わりやすさや偽善を暴き出すという努力。”
“パレスチナ・アラブ系キリスト教徒アメリカ人という、歴史によってばらばらに分解された破片の寄せ集めでできたわたしたちの身分。”
“知性にもとづく信念と部族や宗派や祖国に対する感情的な忠誠とのあいだの本来的に和解し得ないところが......それらを分離したままにし、民族的あるいは部族的な意識よりも知的なもののほうをつねに優先させてきた。たとえそれがどれほど人を孤独に追い込もうがである。”
“権威主義に対する反感、押し付けられ強制された沈黙を破ろうという欲求、そして何にも増して、妥協不能なものを現状に引き戻し、それによって不正な既存体制の秩序を揺るがせ、一掃しようという欲求。”
“わたしはときおり自分は流れつづける一まとまりの潮流ではないかと感じることがある。堅牢な固体としての自己という概念、多くの人々があれほど重要性を持たせているアイデンティティというものよりも、わたしにはこちらのほうが好ましい。
これらの潮流は...すくなくとも常に動きつづけている...中心となる主旋律は不在のままに。これは自由のひとつのかたちである。”
「遠い場所の記憶」 E・W・サイード著 読了。
0:51 03/06/21
「フェルマーの最終定理」サイモン・シン著 読了。
久しぶりに、社会(学)から離れた読書。数学はいいな、現実の社会からこれだけ遠い場所もないものな。
永遠不変の美があって...逃避するにはもってこい。
1:12 03/06/25
「もうひとつの宇宙」 F・Aウルフ著 読了。
‘並行宇宙とタイムトラベル’量子力学と相対性理論から・・・
俺の勘では、ペンローズの“複素線形重ね合わせ”“量子重力論?CQG?”のほうが正解だな。四つの力のうち重力だけを時空のゆがみで説明するというのはどうみてもヘンだ。
まあ、“複素線形重ね合わせ”と“並行宇宙”がどう違うのか、聞かれると困るけど・・・
0:36 03/06/28
「Empire」を「帝国」と対照で読み始めた。
気の遠くなるような作業だが、少しずつでもやっていこう。
しかし、英語と日本語では、目に立ち上がってくる箇所がずいぶん違うものだ。まだ
1-2の途中で、傍線を引いた箇所の表現を確認するのが精一杯だが、この先どうか?
ネット上で、サイード、チョムスキーらの翻訳を公開しているサイトを見つけたので、辞書を引き引き悪戦苦闘することがなくなるだろう。
リーダーズは書籍を読むのに使おう。
23:40 03/07/08
“9月11日に、数千人のアメリカ人労働者が働くツインタワーの崩壊を目にするのではなく、ペンタゴンが完全に崩壊し、ついでにホワイトハウスも攻撃されていたらよかったのにと思います。・・・私の敵は、国籍を問わず、あらゆる帝国主義者、かつては資本主義者と呼ばれていた人々です。”
01’9月に、公の場でこれが言えるとは、さすがはネグリ、10月3日のルモンド。読んでおきたかったな、その時に。
「発言・米同時多発テロと23人の思想家たち」 中山元 編訳
“インドという国家は失敗した国ではない。やろうとしたことが恐ろしくうまくいった国なのだ。インドはその資源 ? 土地、水、森、魚、肉、卵、空気 ? を利用し、小数の恵まれた者に再分配するやり方において、冷酷なほど効率的であった。・・・実は国は問題を創り出しているのだ。それは巨大な貧困製造機であり、貧しい者をより貧しい者と争わせる技に長けている。” “私を信じて欲しい。・・・”
信じるともロイ。・・・
「わたしの愛したインド」 アルンダティ・ロイ著
15:47 03/07/16
“愛とは、今日では、自己にしか属していない何かを守ることに閉じこもるあらゆる試みを破壊することなのである。”
「未来への帰還 ? ポスト資本主義への道」(EXIL) トニ・ネグリ著
“言語を存在の構成の運動として解釈すること”
“いつか人は死を無力なものにすることができなければならないでしょう。”
「ネグリ生政治的自伝 ? 帰還」(DU RETOUR)
まだまだ、ネグリが続く、“〈帝国〉の読解”も拡大バージョンをつくらないといけないな。
日記 (これよりMacにて作成)
2003年 7月 21日 (月)
PCの購入や、新しい接続の導入、設定などに忙殺され読書はいっこうに進んでいない。
接続は速くなり、このアップルのワープロも美しいフォントが気に入っているのだが、なれないせいで思ったように動かせず、トラブルの対処(既に発生している!)も時間がかかり・・・んー、少し辛い。
旧PC(ウインドウズ)のファイルの読み込みも難しく、これは諦めるか・・・。
といった状況。音楽CD作りやDVDの観賞はOK、しかしそのために買ったわけではないのだが。
2003年 7月 22日 (火)
「戦艦ポチョムキン」 エイゼンシュタイン
「2001年宇宙の旅」 S・キューブリック
まずは古典的名作から、DVD観賞だ。「戦艦・・」は革命が前提とされているテキスト、ロシア革命当時の熱気、雰囲気が伝わってくる。無声映画というのは初めてだが、字幕付きとも少し違う、・・・チャップリンも観てみるか。
「2001年・・」68’作であったか、・・凄いな。が、冒頭の‘人類の夜明け’シーンは今となっては、気恥ずかしいものがあるな。
2003年 7月 24日(木)
蔦屋の会員になり、音楽CDの作成をマスター。・・・ちょっと違ってきてる気もするが、マックを使いこなすのにもうしばらくかかりそう。これは仕方ないな。
2003年 7月 25日 (金)0:53 AM
やっとフローラのウィンとファイルの共有ができるようになった。共有と言うより移動かな?。
まあいい、《帝国》関連のファイルをこっち(iBook)でいじれるようになったのは良かった。《読書日記》も引っ越ししてきた。やれやれ・・・。
ネット上で'Empire'が公開されていると言うので行ってみたら、本当に全文公開されている。早速DRして編集可能なファイルに保存、といきたかったがどうしても文字化けがなおらない、フローラの方はOKなのだが・・・、これもまあいい、いざとなれば原本と対照すればいいのだ。
そんなこんなで、読書はいっこうに進まず、表題の方を日記に改題するべきかもしれない。
2003年 7月 29日 (火)1:09 AM
マックにもだいぶなれてきた感じだ。接続もマシンにも問題なさそうだし、このワークスが使いこなせるようになればいいんだが・・・。
ぼちぼちやっていこう。読書の方もはかどらせないといかんし、残り2ヵ月かぁ・・・ふう。
2003年 7月 30日 (水)1:21 AM
「戦争とプロパガンダ-裏切られた民主主義」E.W.サイード著
イラク戦争リアルタイムの頃のサイードの評論集。原文で何本かは読んでいたが、日本語は楽だ。イラク戦争もすっかり遠くなってしまい、日本では自衛隊の派遣問題に矮小化されてしまっている感があるが、当時感じていた、巨大な不公正とそれに対する自分の無力感は忘れられないな。
無力なのはまるでかわらないが、「帝国」を読んだおかげで少しは、現実の把握に現実味が出てきたか?
正義と法、公正さって言う概念は投げ捨ててしまうには惜しいような気がするのだが・・・。
2003年 7月 31日 (木)11:53 PM
「22世紀・・・赤ちゃんの」ミッシェル・オダン著
「自然な」出産について、プライマル適応期、愛の科学、キリストの伝説の読み直し、
・・・自然からの離脱を常に推進してきた人間の文明への叛旗、ポストモダンへのアンチテーゼ、Confronting Empireの一つの戦略になりうるかもしれない。
紀の助産婦への道もしっかり応援しないといけないな。
2003年 8月 3日 (日)11:10 PM
「情報化爆弾」 ポール・ヴィリリオ著
“遺伝子爆弾”“情報化戦争”“本国の植民地化”引用したい文章があり過ぎて困るほど。インターネット、遺伝子操作、過激化した科学などの批判。“個別化した生命の原理を消滅させる。”・・・新しい生命の原理はうまれるのだろうか?
2003年 8月 6日 (水)0:18 AM
“GLOBARISASION...MURTITUDE”ネグリの講義録。エド・エメリー英訳
非常に分かりやすくて良い、自分で和訳に取りかかってしまった。
“我々が脱出(エクソダス)について話す時に言わんとしているのは、生活の新しい形式を首尾よく打ち立てる試みについてです。”
んー、 ‘生活’と言うより生命、人生・・・かな?‘打ち立てる’も構築する、がいいかもしれない、・・・翻訳ってのはむづかしいな。
2003年 8月 13日 (水)0:35 AM
“人間はそこにあるわずかばかりの神の面のせいで、人になり切れないということなのだ。”
“真に自由な選択は、単にあらかじめ与えられている座標の集合の内部にある選択肢から選ぶのではなく、この座標の集合そのものを変えることを選ぶ選択なのだ。”
“哲学者は、我々の真の自己を発見する方法だけを教えてきたが、大事なのはそれを変えることだ。”
“支配的なイデオロギーが、福祉国家を解体することで生じる不安を、新しい自由の好機として売りつけようとする時代。”
「信じるということ」スラヴォイ・ジジェク著
‘著者が密かに意識している「帝国」を内側から掘りくずす・・・。’か。
“多神教ドゥルーズ、ユダヤ教デリダ、キリスト教ラカンの三つ組み。”・・・んー。
2003年 9月 1日 (月)1:25 AM
夏休み、も終わりだ。
「構成的権力」アントニオ・ネグリ著 に取りかかっていた。
デカルト、ヘーゲルの、反=構成的権力、反=マルチチュードである近代を弾劾する。
胸のすくような、「力の思想史」。詳しくはノートを参照のこと。
2003年 9月 3日 (水)1:44 AM
“旧来の支配階級が息も絶えだえに彼らの帝国の喪失に、その消失に、生の悲惨さを増大させ続ける行政的なルーチン・ワークの中でなすすべもなく立ち会っているという過ぎ去った時代のイメージ。”
“構成された権力がついに唯一の緯糸となってしまった過去の政治が、腐敗すると同時に残酷な世界として我々の前に立ち現れている。”
「構成的権力」アントニオ・ネグリ著 読了。
“帝国”という単語は最後の一ページ前に初めて登場する、“ネグリのライフワーク”
“構成的権力について語ることは民主主義について語ることである。”
マルチチュードとその力の思想史。 近代性を超えてゆく、新しい世界の見取り図。
2003年 9月 11日 (木)10:42 PM
民主主義の概念がいかにヨーロッパ起源のものであるか、痛感させられる「構成的権力」
の読書であった。これの日本版を誰か書かないか?
その後は、「スピノザ」G・ドゥルーズ著
“一つの身体(または一つの心)を、その形や諸々の器官、機能から規定したり、これを何らかの実態として規定したりしないことだ。・・・ひとつひとつの身体や心は、・・・様態である。・・・一つの触発し触発される力である。”
“君たちは、良きにせよ悪しきにせよ、自分に何ができるか知ってはいない。君たちは一つの身体、また一つの心が、ある出会いにおいて、ある結びつき合いにおいて、何をなし得るかをあらかじめ知りはしない。”
自分がずいぶん前からスピノジストであったことを再認識する。
しかし、スピノザ主義、民主主義というものの‘恐さ’もこの歳になってやっと分かってきたのかもしれないな。
で、つづけて「アンチ・オイディプス」に取りかかるつもりだったが、やはり先にこれ、
「シュレーバー回想録」D・P・シュレーバー著
“教育的な影響を外部へと及ぼそうなどという試みは、見込みのないこととして全て放棄されねばならぬ ? 神が経験から何事も学び得ないという思想。”
少し気楽に読むつもりでいたが、やはり“神経病者の手記”だけあって神経にこたえる内容。どこまで踏み込んでいいものやら・・・。
2003年 9月 16日 (火)10:44 PM
“「どうなりとご随意に」「馬鹿げたことは全ておのずとやむ」
存分に荒れ狂ってしまえば、どんな馬鹿げたことでもやがて終わりを告げ、おのずから理性にかなった状態が生じるのは確実であるからだ。”
本当にそうだといいんだが・・・「シュレーバー回想録」D・P・シュレーバー著、読了
魂の殺害、経験から学ぶ能力のない神、世界秩序、魂の官能的愉悦、・・・パラノイア、哲学体系のオルタナティヴ?
2003年 9月 19日 (金)2:16 PM
“オイディプスは厳密には決定しえないものなのである。・・・それだけにいたるところに見いだされるものである。この意味では、オイディプスは厳密には何の役にも立たないというのが正しい。
・・・オイディプスは、精神分析が世界の責任を逃れるために手を洗う泉である。・・・潜在的なるもの、反動的あるいは反作用的[反応的]なるもの。”
「アンチ・オイディプス」G・ドゥルーズ著 確かに反=オイディプスである。
しかし、最近の自分のしていることは、ニーチェ、フロイト、マルクスを解体して再構築、いや、脱構築すること、だな。
‘自分が知っていると思っていたことは、ほとんど全て間違っていた。’
という嬉しい自覚。いや、しかし、断片を、材料を今までは集めていたわけで、何か役に立つ、有効なものを作り上げるのはこれからだ、と考えた方がいいかもしれない。
2003年 10月 1日 (水)11:27 PM
「知識人とは何か」エドワード・W・サイード著
サイードが、9/25に・・・死去、悲しいことに、してから、しばらく落胆していた。
が、頼るべき、まかせておけば大丈夫と思える人がいなくなってしまったことで、非力な自分でもやらねば、と、勇気を奮い立たせている人間も多いのではないか?
‘continue the struggle, continue...get over your petty personal differences with your colleagues and write and perform and continue unceasingly. It’s in your hands.’
サイードが娘に遺した言葉
2003年 10月 13日 (月)10:40 PM
“真理とは権力の機能(ファンクション)だというニーチェの立場について誰かコメント出来る人は?” サイードの講義中の発言 四方田犬彦氏の追悼文より
コメント出来るか? ・・・。
世すぎのための仕事を始める準備もあって、読書は中断している。
約半年間、長いといえば長い休暇であった。
思ったより進まなかったが、以前の自分とは違う自覚はある。
2003年 10月 20日 (月)10:34 PM
4/21分の内容につながるのだが、
恐怖と欲望が、人を行為に駆り立てる最大の動機であるなら、
現代の自由資本主義社会とテロリズムは、その表現であろう。
恐怖と欲望に動かされないこと。
テロリズムを根絶するというのなら、
恐怖と欲望に駆り立てられた行為を、やめる事。
これは‘自然’への退行だろうか?
人類がその始まりからずっと恐れ、逃れようとしてきた‘自然への退行’だろうか?
恐怖と欲望をコントロールすること。
これは...仏陀の教えだ。
欲望に動かされまいとして、欲望を抑圧し、恐怖についてはやせ我慢する。というのが、今までの自分のやり方だったのではないか。
欲望を再開発、開拓し、恐怖を、良く見ること。
良き欲望。良き恐怖。というものが、あり得るのではないか。
2003年 11月 9日 (日)6:42 PM
「帝国を壊すために」A・ロイ著
‘War Talk’などに発表済みのエッセイの翻訳だが、思いきった訳がなかなか良かった。
賃労働を初めて、なかなか読めなかったが、この位からぼちぼちはじめよう。
2004年 1月 22日 (木)8:51 PM
世の中の暗い面を見過ぎていないか?
邪悪な皇帝に対抗すべく、力を蓄えつつ在る勢力が在りはしないか?
その力に、さらに力を積み増すべく働ける可能性がありはしないか?
そう、可能性、まだそれを夢見ていいのではないか?
新しい年、・・・身体も元に戻った。
新しい気持ちで、・・・いこう。
2004-11-04
03/03/18
またアメリカの戦争か、まえと同じ場所で、まえより分かりにくい理由で
分かりたくない理由か。
03/03/20
「日本語の外へ」 片岡義男著
“英語は論理を表すのに適し、完全性をそれ自身が指向する言語である。” 正確な引用ではないな。
“日本語はそうではない” なぜか?
完全性への指向は、日本では物(生産物)に現れる。(ここでは自然も生産物として扱われている)
使用条件において要求される以上の精度、性能、美をはてしなく追求する生産者の態度。
「倫理21」 柄谷行人著
カントの自由を基本とする倫理、“自由であれ、そして他者を手段としてのみならず目的として扱え” 自由は我々の宿命である。そして当然ながら他者もまた自由にシュクメイズケラレテイル。
美的、倫理(道徳)的、実践的領域は排他的でなくぴたりと重なりあっている。判断(認識)にあっては...。
“未来の他者から見れば、我々は死者である。”
03/03/26
「ローマ帝国衰亡史」全10巻がおわりに近い。
東ローマ帝国もついに滅亡してしまった。
壮大な歴史読み物という感はあるが、ヨーロッパ古代、キリスト教の発展、という今までは敬遠していたところに光が当たったのは良かった。
歴史全般にも興味がわいて来たのは年をとったせいか?
10:39 03/03/28
経済の規模が世界のなかでこれほど大きな国が、今回のように大きな問題に際してこれほど小さな役割しか果たせないのは異様なことではないのか。
正当性のない米国への無条件の支持によって、日本は中東諸国のなかで保っていた国民レベルでの友好的感情という有利な外交上の資産をあっさりと投げ捨ててしまったのではないか。
保身(安全保障)のために不当な、理の無い一方的な武力行使を支持したために、国民の生きる意欲が奪われ、ただ生かされているだけという無力感がひろまるのではないか。
20:29 03/03/30
机と椅子が届いた。
これはいい。 なんとかなりそうな気がしてきた。
10:52 03/03/31
「アイデンティティーズ」「日本語を書く部屋」 リービ英雄
‘英語から日本語へ越境した表現者’ の随筆。
「日本語の外へ」とも響きあうな、“人種と民族、では無く、言語と文化”
そうそう。
22:46 03/04/01
「アフガニスタンの仏像は...」マフマルバフ著 読。
日本はどんな国に見えるだろう?、中では生産と消費、外では貿易。
少しふるいけど、エコノミックアニマル?そのとおり。
いや、源氏物語、万葉集、etc古くて美しい伝統文化?、そんなの外からは見えまい。
自分はどう?、最近、生産からは手を引いたみたいだけど、古典の素養は?、文化活動は?外から見えないものは無いのといっしょ。
22:54 03/04/02
「ユダヤ国家のパレスチナ人」D・グロスマン著 読み始める。
少なくとも自分が成人してから、1980年代に入ってからのイ・パ問題について継続した関心を持ち続けなかった事。一面的な、浅い把握で片付けていた事は確かだ。
23:32 03/04/03
ルモンド先月号のサイードの文章フォルダ3?もうひとつのアメリカ E.サイード.htm、本当かな。
“イスラエルにユダヤ人を集め、根絶する。”んー。
0:14 03/04/05
「ユダヤ国家の..」読。
’91か、今は、今はどうなってる?Mr.グロスマン。
希望は?‘移送’が現実になってる?
それにしても、イスラエルのアラブ人について書かれた文章がいかに日本人にぴったり当てはまってるか。
アメリカという多数派の前で仮死状態になってるのか。
国民国家、国連、国際法、↓だ。今やってる戦争は、一種の内戦なのだ...
“帝国”という見方も、過去の類似した事象をあてはめたものにすぎないのかも。
9:36 03/04/05
ここは、日本は、世界の辺境の、工場の集中する生産現場だ。
外交も軍事も、大事なことはみなアメリカに任せてある。
つくって売って稼ぎ、買って使って捨てて楽しむことに集中できる。
政治というのは利害調整のことだ。
外の世界の問題にはあまり興味がないし、外から問題が持ち込まれたら困ったことになる。
いつからこんなことになったのか。40年ほどまえからか。
10:11 03/04/07
Nothing can finish here.
ここでは、なにも終わることがない。
0:05 03/04/11
「日本精神分析」柄谷行人著を読み出した。
‘交換の三つの方式、第四の場所、アソシエーション。’NAMだ。
書店で何年か前に見かけて気になっていたが、そのまま忘れかけていた。
じっくり読んでみよう。 それが処方箋になるのかどうか。
0:25 03/04/15
今日は、あ、昨日か、役所の用事と支払いなどを大体済ませてやれやれ。 少しは落ち着けそうだ。
机と椅子の生活もなかなかいい。喫煙環境にできればもっといいか。
ウォラーステインのいいウェブサイトをひとつ見つけたのも好。
「日本精神分析」は読了した。なるほどと思わせられるのだが、‘市民通貨Q’はやっぱり顔の見える範囲の地域通貨を基本に、連携で拡大していかないと、“中央銀行”のように見えて仕方ないものな。
11:16 03/04/15
“アラブ世界の民衆を自棄的にさせ、イスラエルの破滅的政策を今以上に推し進めさせる。
イスラエルは実際に破滅し、ユダヤ人は根絶され、中東にユダヤ人のいないアラブ世界という夢が現実のものとなる。
ユダヤ人は、故郷に追放されたうえで、そこを強制収容所とされ、絶滅させられたのだ。
アメリカの、中東に民主主義を強制するという政策の真の目的は、ヒットラーの果たせなかった夢を中東で実現することであった。
ブッシュとビンラディンがテロという方法で始めた中東和平の新たなプロセスはこうして達成された。”
後の世のギボンが「アメリカ帝国衰亡史」の一章をこんな風に綴るのではないかと恐れています。
22:38 03/04/17
“新世界秩序”“グローバリゼーション” これはまさに帝国の支配という事じゃないか。「衰亡史」を読んでいたらもっと早く気がついていてよさそうなものなのに。
しかしアメリカが衰亡の過程に入って久しいとしたら...首都の移転、
東西の分裂、蛮族の侵入なんかも起こりうるのか...
「9・11」チョムスキー著を読了、アウトルックインディアでイラク戦争に関するロイのコメンタリーを頑張って読む。
「アメリカ素描」司馬遼太郎に取り掛かっている、しばらくアメリカから離れられそうに無いか。
10:27 03/04/21
恐怖と欲望が、人を行為に駆り立てる最大の動機であるなら、
現代の自由資本主義社会とテロリズムは、その表現であろう。
恐怖と欲望に動かされないこと。
テロリズムを根絶するというのなら、
恐怖と欲望に駆り立てられた行為を、やめる事。
これは‘自然’への退行だろうか?
人類がその始まりからずっと恐れ、逃れようとしてきた‘自然への退行’だろうか?
恐怖と欲望をコントロールすること。
これは...仏陀の教えだ。
23:31 03/04/22
「イラク攻撃を..」ミラン・ライ著 いまさら、という感じだが、ここまでの経緯を知るには良い、か。
「ワード・ポリティクス」田中明彦著 現代の世界システムを“新しい中世”とみる見方に魅かれて読む。中世とは、世界が‘帝国’の支配下と
その支配の及ばない蛮族の土地に分けられていた時代だ。(?)
まあ時事評論はこのくらいで終わりにしとこう。
1:03 03/04/28
「パンとサーカス」ブラントリンガー著を読んでいる。
“負の古典主義”ローマの衰亡と現代を重ね合わせて見るなら読んでおかないといけなかった本。
評論の並列という感はあるが、暴力と抑圧を無前提に悪とし、民主主義と啓蒙をよしとする著者の立場はでていて、カミュとベンヤミンの扱いは別格。
アドルノ、ホルクハイマー、マルクーゼなどベンヤミン以外のフランクフルト学派、
マクルーハンと読むべき論者が見つかった。
19世紀末からの西欧の帝国主義(植民地獲得の熱狂)の原因、背景について分かりやすい分析もよかったが、ニーチェ、マルクス、フロイトという自分が15,6歳の時に出発点になった思想家たちの射程が、まとまった論考で読めたのは初めて、か。
25年程まえの自分の考えがよみがえってくる。やはり19世紀以前を切り捨てるのは無理があったな。ヨーロッパの歴史とキリスト教ぬきで3人の巨人から世界観をまとめるというのは。
いまからでも遅くない、か。
18:20 03/04/29
「パンとサーカス」読了。 83’原著発行だからインターネット社会出現の前か。
その後の“メディア”という言葉の意味が変わるような変化がこの本を古くしている上に、著者の結論らしきものも常識的すぎる感あり。
しかし、明日届く予定の「帝国」ハート&ネグリ著、につなげるにはいい下地になっただろう。
0:21 03/05/01
〈帝国〉とは、これらグローバルな交換を有効に調整する政治的主体のことであり、この世界を統治している主権的権力のことである。
〈帝国〉はそれ自身の意志に基づいて生まれるのではない。むしろ〈帝国〉はそれが発揮する紛争解決能力にもとづいて存在すべく呼び出され(法的に)構成されるのだ。
〈帝国〉の出現とともに、もはやわたしたちは普遍を間接的にあらわすローカルな媒介と向き合っているのではなく、具体的な普遍そのものと向き合っているのだ。
ローマ帝国の衰退期におけるキリスト教の拡大について言及したアナロジー・・・帝国的な法権利に取って代わる絶対的な別の選択肢?つまりは、新しい存在論的基盤?を提供した・・・。
・・・幾多の闘争をとおしてマルチチュードは新たな民主主義の諸形態と新たな構成的権力を創出しなければならないだろう。そしてまた、それら新たな民主主義の諸形態と構成的権力によって、私たちはいつの日か〈帝国〉を突き抜け、その彼方にまで運ばれることだろう。
ハート&ネグリ「帝国」だ。わくわくするな。
第一章をよんだだけで、周りの世界が変わってしまったような、「ツァラツストラ」「野生の思考」「ニーチェと悪循環」以来の経験だな。
23:09 03/05/01
“彼らがどんな人間であろうと、あるいは彼らが自分をどう考えていようと、さらにはまた彼らが何をしようと、かれらの行為の結果は常に同じだということが明確に理解できるだろう。そう、鏡の前の無意味な踊りだという事がな。”
“いずれにせよ、われわれはみな自分だけの ビタミノールを持っているのだ。”
“・・・そのような一群のエネルギー場を一つにまとめている力は、・・・宇宙におけるもっとも不可思議な力である。・・・それは全宇宙の純然たる本質であり、存在する万物の総体である。”
カスタネダの遺作「無限の本質」読。これが創作だとしたらすごいな。
1:00 03/05/03
「海辺のカフカ」村上春樹著、読。
久しぶりに本を読んで大笑いしたな、オイディプス王の神話を強烈に笑い飛ばし、さらにさりげなく自らへの批判に対しての強烈な反論を忍ばせておく・・・しかしジョニーウォーカー氏とは・・〈帝国〉の権力の誤用者たちのメタファーなのか?じゃあカーネルサンダース氏は?・・・両者はひとつの・・なにかの、異なった面の現われ・・じゃないのか。
17:35 03/05/03
未来に課題を見つける能力、現在を楽しむ能力、過去を冷徹に認識する能力。
これじゃないか、足りないのは。
それらの能力の発現を妨げているものはなにか、現状維持の安定と安心をもとめる欲 求。これは死の欲望だ。
必要なものは、所与の枠組みを離れて物事をみる自由。見たくないものをも直視する勇気。これは難しいが、細部にも全体にもこだわらない無頓着さ、ではないか。
結論は常識的にすぎるな・・・
22:58 03/05/05
「東京魔界案内」三善里沙子著読了
昔の友人が活躍してるのを見るのは嬉しいものである。
自分も友人を喜ばせられるように・・なりたいものである。
フッチーも頑張ってるみたいだしな、まあ彼の麻雀本は自分では読む気にならないけど。
0:01 03/05/08
人類が誕生したとき、プレ人類が進化した時、プレ人類はそのままでは周りの自然環境に適応できなくなっていた。
おそらく自然環境が大きく変化したのだろう。自然環境に依存する度合いを低くすること、言語と文化をもつこと、自然から文化への移行。
これを推し進め続けること、自然から文化へ進化のフィールドも移行したが、方向自体は変わらない。適応地形を多様なやりかたでより高く登り続けること。
自然への、未開への退行というのは恐ろしいこと、最も避けるべきことだったに違いない。
大自然(マクロコスモス)のちからを小自然(ミクロコスモス)、社会に有用なちからに変える場面では細心の注意が払われ、それに携わる者への恐れ、賤視、賤民化が行われた。
女性の体現する自然のちから、出産、月の満ち欠けとの同調・・etc、はなんとかコントロール下に置く必要があった。女性の賤視、崇拝、社会における交換財としての扱いなどがその手段となった。
つづく◇
23:41 03/05/08
「帝国」を読んでいる。・・いい、もっと早くよんどけば・・・。
まあいい、世界史の年表は必携、「情報の歴史」松岡正剛著、が役に立っている。「ローマ帝国衰亡史」とも真っ直ぐにつながっている。
なかなかいい読書してるな。最近。
14:33 03/05/11
◇人類が科学技術という無敵の武器を手にした近代という時代に、自然から文化、文明への移行という過程は完了し、もはや自然は恐るべきものではなくなった。自然は我々がそこから生まれ、畏敬すべきもの、我々が自分自身をそこから規定すべき“外部”の参照点ではなくなり、我々の社会と同じく、管理運営すべき対象となった。
つづく ●
9:32 03/05/12
仏教の世界観(偶然と必然)
「因縁」 因=因果律、必然法則 / 縁=出会いの後、同方向へ
縁=偶然の出会い??<
\起=出会いの後、違った方向へ
近代西洋的パラダイム
「操作」=有効な他者の支配。(因果律に基づく)
「河合隼雄対話集」読。
西洋的合理精神=ニュートン・デカルト的パラダイム(科学性)を越える。
近代の過程が完了し、そのパラダイムが最早有効ではなくなった現在、新しい時代のそれが必要であるのは当然か。
●女性の体現する自然のちから、生命の再生産でさえ、生命工学の発展によって選択肢の一つに過ぎなくなった。
つづく▽
0:25 03/05/15
「言葉?アイヒマンを捕らえた男」山崎正和著 読了。
戯曲を読むのは初めてだが、著者名の覚えがあったので、借り出した。
「皇帝の新しい心」R・ペンローズ著も読んでいる。
’94初版発行か・・・この10年のあいだ、自分の脳は停止してたのか?
いまそれを挽回しようとはげんでいるところか?と思ってしまうな。
22:32 03/05/18
‘書かれたり話されたりする言語や言葉が私の思考の仕組みの中で何らかの役割を演じているとは思われません。’ アインシュタイン
‘言葉は数学的思考にはほとんど役立っていない。・・・心は数学的アイディアを知覚するたびに数学的概念のプラトン的世界と接触するのだ。’
‘5重対称性をもつ準結晶を適切に組み立てるには、非局所的な、本質的に量子力学的な要素が無くてはならない。(多数の代替的な原子配列が複素線形重ね合わせの中に共存している必要性がある。)’
‘意識的思考という活動は、複素線形に重ねあわされていた選択肢の中からどれかを選び出すことと結びついており、これは未知の物理学(やがて発見されるであろう量子重力論?CQG?)に関連している。’
‘物理的記述の中の「時間」は少しも流れていない。我々の知覚している時間的秩序は、我々がそれらに押し付けたものである。’
‘意識はそれによって宇宙の存在そのものが知られるようになる現象である。意識の存在を許さない法則に支配された宇宙は、全然、宇宙ではない。’
意識をアルゴリズムに還元してしまう“強いAI”に反対するために提出されたR・ペンローズの大著。「皇帝の新しい心」 読了。
“強いAI”自体はすでに引き潮にあるかもしれないが、著者の物理学的知見と予測はまったく古びていない。
しかし自分は数学的、美的プラトン的世界とはあんまり接触できてないようであるな・・・。
0:04 03/05/21
「パレスチナへ帰る」エドワード・サイード著 読了。
「The Poritics of Dispossession, Vintage 1995'」は読みたいな、リーダーズ英和辞典も買ったし、挑戦してみるか。
しかし、これだけ時間があっても、読みたいだけの本を読むというのはなかなか・・・。予定を立てて、それをこなしていくっていうわけにはいかんものな。
0:26 03/05/24
「新「帝国」アメリカを解剖する」佐伯啓思著 読了
初見の著者、“現代文明としてのアメリカ論” 〈帝国〉の、主権と生産の変遷という視点とは違ってこちらは観念、思想のほう。
自分としてはこっちの方が慣れてる。フォード主義、共和国精神、自由、価値、意味、文化、文明などはっきりした定義づけがなされていて良い。コジューブの‘精神現象学注解’の案内までされてしまった、読まなくては。
0:53 03/05/27
「なるほどの対話」河合・吉本ばなな氏の対談
ばなな氏は未読で、先入観もあったが、悪くないな...。
「日本科学未来館サイエンスガイド」毛利衛
‘Emerging Science and Innovation’か、おもしろそうなものができてるなぁ。東京か、行こう。
球体の地球ディスプレイ...んーっ、自分が一時考えていた、世界史再現ソフトの表示につかえるなぁ...
“EUは独自の利益を持った運命共同体としては有名無実になり、市民の大半はEUへの関心を決定的に失ってしまうだろう。”
LMD 03'5「大西洋主義という幻想」からの引用。
EUを日本に置き換えて過去形にすれば、・・・そのままじゃないか。