読書日記2 | 宮本浩樹のブログ ― アーカイブ ―

読書日記2


   0:33 03/05/28
 「帝国」第3部まで読了、いよいよ危険になってきた。
 
 “マルチチュードによる自律的な自己統治の追及”
 
 “きみたちはアナーキストの一味にすぎないのだ、売出し中の現代のプラトンはそう言って私たちを罵倒するだろう。”

 “私たちはアナーキストではなくてコミュニストなのだ。”

 “生産的協働のネットワークのなかで構成される物質性という立場、生産的に構築され、自由という「共通の名辞」によって構成される人間存在(ヒューマニティ)という視野から語る。”

 ぼくは、アナーキストだ。 


   2:00 03/06/02
 “批判的に考え、リスクを背負うこと。”
 “安全な避難場所を受け入れるなかれ。”
 「帝国との対決」イクバール・アフマド発言集 D・バーサミアン インタヴュー 読。
  サイード、チョムスキー、アフマド…しばらくここから離れられそうに無いな。

 「帝国」は第4部、

 “空気を吸って、秩序を吐き出す、というのでなければ、誰か他人から与えられた秩序に従うしかないのだ。”   HM


    15:44 03/06/04
 “腐敗自体が〈帝国〉の実質であり、全体性だからである”

 “これは革命だ。いかなる権力であれ統制できない革命”

 「帝国」 読了。
 
 
   15:49 03/06/06
 「帝国」 再読、だ。 読了、とはいかないな。
汲めども尽きぬ泉・・・か、 “近代とはなんだったのか” “ポストモダンとは” ・・・ 霧が晴れて、視界がひらけた。
 デカルトとへーゲルは10代の頃から敵だと思っていた。
スピノザ、ニーチェ、を歴史の中に位置づけることが、できた、か、完全には無理だな。

 
  0:45 03/06/12
 まだ「帝国」から離れられないでいる。なかなか本棚に戻せないのだ。
ファイルに作っている“読解”は10ページになった。
 5.1から読み始めたから6週間かかったことになる。
しかし、読む前とは別人になったような気がする、いや実際に別人になっているな...
マルチチュードに...闘士に。

 
  23:59 03/06/13
 大きな読書が終わった、という感じで虚脱感のようなものがあるな。
PCを修理してネットが復旧した。 小休止。
 「遠い場所の記憶」 E・W・サイード著を読んでいる。誰かの自伝を読むのは初めてか?いや「この人を見よ」が、あるか。
 Out of Place...いるべき場所に居るのではないという感覚、か。
自分も感じていたこと、だが、まるで違う、な。


   10:06 03/06/19
 “モラル・エージェントとしての観念的な自己イメージに完全にその権威を依存している権力が紡ぎ出す、非の打ちどころのない善良な意図にもとづき誠実に行動するという神話を打ち砕き、その変わりやすさや偽善を暴き出すという努力。”

 “パレスチナ・アラブ系キリスト教徒アメリカ人という、歴史によってばらばらに分解された破片の寄せ集めでできたわたしたちの身分。”

 “知性にもとづく信念と部族や宗派や祖国に対する感情的な忠誠とのあいだの本来的に和解し得ないところが......それらを分離したままにし、民族的あるいは部族的な意識よりも知的なもののほうをつねに優先させてきた。たとえそれがどれほど人を孤独に追い込もうがである。”

 “権威主義に対する反感、押し付けられ強制された沈黙を破ろうという欲求、そして何にも増して、妥協不能なものを現状に引き戻し、それによって不正な既存体制の秩序を揺るがせ、一掃しようという欲求。”

 “わたしはときおり自分は流れつづける一まとまりの潮流ではないかと感じることがある。堅牢な固体としての自己という概念、多くの人々があれほど重要性を持たせているアイデンティティというものよりも、わたしにはこちらのほうが好ましい。
これらの潮流は...すくなくとも常に動きつづけている...中心となる主旋律は不在のままに。これは自由のひとつのかたちである。”

 「遠い場所の記憶」 E・W・サイード著 読了。
 
 
   0:51 03/06/21
 「フェルマーの最終定理」サイモン・シン著 読了。
 久しぶりに、社会(学)から離れた読書。数学はいいな、現実の社会からこれだけ遠い場所もないものな。
 永遠不変の美があって...逃避するにはもってこい。
 

   1:12 03/06/25
 「もうひとつの宇宙」 F・Aウルフ著 読了。
‘並行宇宙とタイムトラベル’量子力学と相対性理論から・・・
俺の勘では、ペンローズの“複素線形重ね合わせ”“量子重力論?CQG?”のほうが正解だな。四つの力のうち重力だけを時空のゆがみで説明するというのはどうみてもヘンだ。
 まあ、“複素線形重ね合わせ”と“並行宇宙”がどう違うのか、聞かれると困るけど・・・
 

   0:36 03/06/28
 「Empire」を「帝国」と対照で読み始めた。
気の遠くなるような作業だが、少しずつでもやっていこう。
 しかし、英語と日本語では、目に立ち上がってくる箇所がずいぶん違うものだ。まだ
1-2の途中で、傍線を引いた箇所の表現を確認するのが精一杯だが、この先どうか?

 ネット上で、サイード、チョムスキーらの翻訳を公開しているサイトを見つけたので、辞書を引き引き悪戦苦闘することがなくなるだろう。
 リーダーズは書籍を読むのに使おう。


    23:40 03/07/08
 “9月11日に、数千人のアメリカ人労働者が働くツインタワーの崩壊を目にするのではなく、ペンタゴンが完全に崩壊し、ついでにホワイトハウスも攻撃されていたらよかったのにと思います。・・・私の敵は、国籍を問わず、あらゆる帝国主義者、かつては資本主義者と呼ばれていた人々です。”

 01’9月に、公の場でこれが言えるとは、さすがはネグリ、10月3日のルモンド。読んでおきたかったな、その時に。

 「発言・米同時多発テロと23人の思想家たち」 中山元 編訳

 “インドという国家は失敗した国ではない。やろうとしたことが恐ろしくうまくいった国なのだ。インドはその資源 ? 土地、水、森、魚、肉、卵、空気 ? を利用し、小数の恵まれた者に再分配するやり方において、冷酷なほど効率的であった。・・・実は国は問題を創り出しているのだ。それは巨大な貧困製造機であり、貧しい者をより貧しい者と争わせる技に長けている。”  “私を信じて欲しい。・・・” 

 信じるともロイ。・・・
 「わたしの愛したインド」 アルンダティ・ロイ著

 
   15:47 03/07/16
 “愛とは、今日では、自己にしか属していない何かを守ることに閉じこもるあらゆる試みを破壊することなのである。”

 「未来への帰還 ? ポスト資本主義への道」(EXIL) トニ・ネグリ著

 “言語を存在の構成の運動として解釈すること”

 “いつか人は死を無力なものにすることができなければならないでしょう。”

 「ネグリ生政治的自伝 ? 帰還」(DU RETOUR)

まだまだ、ネグリが続く、“〈帝国〉の読解”も拡大バージョンをつくらないといけないな。

日記 (これよりMacにて作成)

2003年 7月 21日 (月)
PCの購入や、新しい接続の導入、設定などに忙殺され読書はいっこうに進んでいない。
接続は速くなり、このアップルのワープロも美しいフォントが気に入っているのだが、なれないせいで思ったように動かせず、トラブルの対処(既に発生している!)も時間がかかり・・・んー、少し辛い。
旧PC(ウインドウズ)のファイルの読み込みも難しく、これは諦めるか・・・。
といった状況。音楽CD作りやDVDの観賞はOK、しかしそのために買ったわけではないのだが。


2003年 7月 22日 (火)
「戦艦ポチョムキン」 エイゼンシュタイン
「2001年宇宙の旅」 S・キューブリック
まずは古典的名作から、DVD観賞だ。「戦艦・・」は革命が前提とされているテキスト、ロシア革命当時の熱気、雰囲気が伝わってくる。無声映画というのは初めてだが、字幕付きとも少し違う、・・・チャップリンも観てみるか。
「2001年・・」68’作であったか、・・凄いな。が、冒頭の‘人類の夜明け’シーンは今となっては、気恥ずかしいものがあるな。


2003年 7月 24日(木)
蔦屋の会員になり、音楽CDの作成をマスター。・・・ちょっと違ってきてる気もするが、マックを使いこなすのにもうしばらくかかりそう。これは仕方ないな。


2003年 7月 25日 (金)0:53 AM
やっとフローラのウィンとファイルの共有ができるようになった。共有と言うより移動かな?。
まあいい、《帝国》関連のファイルをこっち(iBook)でいじれるようになったのは良かった。《読書日記》も引っ越ししてきた。やれやれ・・・。
ネット上で'Empire'が公開されていると言うので行ってみたら、本当に全文公開されている。早速DRして編集可能なファイルに保存、といきたかったがどうしても文字化けがなおらない、フローラの方はOKなのだが・・・、これもまあいい、いざとなれば原本と対照すればいいのだ。
そんなこんなで、読書はいっこうに進まず、表題の方を日記に改題するべきかもしれない。


2003年 7月 29日 (火)1:09 AM
マックにもだいぶなれてきた感じだ。接続もマシンにも問題なさそうだし、このワークスが使いこなせるようになればいいんだが・・・。
ぼちぼちやっていこう。読書の方もはかどらせないといかんし、残り2ヵ月かぁ・・・ふう。


2003年 7月 30日 (水)1:21 AM
「戦争とプロパガンダ-裏切られた民主主義」E.W.サイード著
イラク戦争リアルタイムの頃のサイードの評論集。原文で何本かは読んでいたが、日本語は楽だ。イラク戦争もすっかり遠くなってしまい、日本では自衛隊の派遣問題に矮小化されてしまっている感があるが、当時感じていた、巨大な不公正とそれに対する自分の無力感は忘れられないな。
無力なのはまるでかわらないが、「帝国」を読んだおかげで少しは、現実の把握に現実味が出てきたか?
正義と法、公正さって言う概念は投げ捨ててしまうには惜しいような気がするのだが・・・。  


2003年 7月 31日 (木)11:53 PM
「22世紀・・・赤ちゃんの」ミッシェル・オダン著
「自然な」出産について、プライマル適応期、愛の科学、キリストの伝説の読み直し、
・・・自然からの離脱を常に推進してきた人間の文明への叛旗、ポストモダンへのアンチテーゼ、Confronting Empireの一つの戦略になりうるかもしれない。
紀の助産婦への道もしっかり応援しないといけないな。


2003年 8月 3日 (日)11:10 PM
「情報化爆弾」 ポール・ヴィリリオ著
“遺伝子爆弾”“情報化戦争”“本国の植民地化”引用したい文章があり過ぎて困るほど。インターネット、遺伝子操作、過激化した科学などの批判。“個別化した生命の原理を消滅させる。”・・・新しい生命の原理はうまれるのだろうか?


2003年 8月 6日 (水)0:18 AM
“GLOBARISASION...MURTITUDE”ネグリの講義録。エド・エメリー英訳
非常に分かりやすくて良い、自分で和訳に取りかかってしまった。

“我々が脱出(エクソダス)について話す時に言わんとしているのは、生活の新しい形式を首尾よく打ち立てる試みについてです。”

んー、 ‘生活’と言うより生命、人生・・・かな?‘打ち立てる’も構築する、がいいかもしれない、・・・翻訳ってのはむづかしいな。


2003年 8月 13日 (水)0:35 AM
“人間はそこにあるわずかばかりの神の面のせいで、人になり切れないということなのだ。”

“真に自由な選択は、単にあらかじめ与えられている座標の集合の内部にある選択肢から選ぶのではなく、この座標の集合そのものを変えることを選ぶ選択なのだ。”

“哲学者は、我々の真の自己を発見する方法だけを教えてきたが、大事なのはそれを変えることだ。”

“支配的なイデオロギーが、福祉国家を解体することで生じる不安を、新しい自由の好機として売りつけようとする時代。”

「信じるということ」スラヴォイ・ジジェク著
‘著者が密かに意識している「帝国」を内側から掘りくずす・・・。’か。
“多神教ドゥルーズ、ユダヤ教デリダ、キリスト教ラカンの三つ組み。”・・・んー。


2003年 9月 1日 (月)1:25 AM
夏休み、も終わりだ。
「構成的権力」アントニオ・ネグリ著 に取りかかっていた。
デカルト、ヘーゲルの、反=構成的権力、反=マルチチュードである近代を弾劾する。
胸のすくような、「力の思想史」。詳しくはノートを参照のこと。


2003年 9月 3日 (水)1:44 AM
“旧来の支配階級が息も絶えだえに彼らの帝国の喪失に、その消失に、生の悲惨さを増大させ続ける行政的なルーチン・ワークの中でなすすべもなく立ち会っているという過ぎ去った時代のイメージ。”

“構成された権力がついに唯一の緯糸となってしまった過去の政治が、腐敗すると同時に残酷な世界として我々の前に立ち現れている。”

「構成的権力」アントニオ・ネグリ著 読了。
“帝国”という単語は最後の一ページ前に初めて登場する、“ネグリのライフワーク”

“構成的権力について語ることは民主主義について語ることである。”

マルチチュードとその力の思想史。 近代性を超えてゆく、新しい世界の見取り図。


2003年 9月 11日 (木)10:42 PM
民主主義の概念がいかにヨーロッパ起源のものであるか、痛感させられる「構成的権力」
の読書であった。これの日本版を誰か書かないか?

その後は、「スピノザ」G・ドゥルーズ著
“一つの身体(または一つの心)を、その形や諸々の器官、機能から規定したり、これを何らかの実態として規定したりしないことだ。・・・ひとつひとつの身体や心は、・・・様態である。・・・一つの触発し触発される力である。”

“君たちは、良きにせよ悪しきにせよ、自分に何ができるか知ってはいない。君たちは一つの身体、また一つの心が、ある出会いにおいて、ある結びつき合いにおいて、何をなし得るかをあらかじめ知りはしない。”

自分がずいぶん前からスピノジストであったことを再認識する。
しかし、スピノザ主義、民主主義というものの‘恐さ’もこの歳になってやっと分かってきたのかもしれないな。

で、つづけて「アンチ・オイディプス」に取りかかるつもりだったが、やはり先にこれ、

「シュレーバー回想録」D・P・シュレーバー著

“教育的な影響を外部へと及ぼそうなどという試みは、見込みのないこととして全て放棄されねばならぬ ? 神が経験から何事も学び得ないという思想。”

少し気楽に読むつもりでいたが、やはり“神経病者の手記”だけあって神経にこたえる内容。どこまで踏み込んでいいものやら・・・。


2003年 9月 16日 (火)10:44 PM
“「どうなりとご随意に」「馬鹿げたことは全ておのずとやむ」
存分に荒れ狂ってしまえば、どんな馬鹿げたことでもやがて終わりを告げ、おのずから理性にかなった状態が生じるのは確実であるからだ。”
本当にそうだといいんだが・・・「シュレーバー回想録」D・P・シュレーバー著、読了
魂の殺害、経験から学ぶ能力のない神、世界秩序、魂の官能的愉悦、・・・パラノイア、哲学体系のオルタナティヴ?


2003年 9月 19日 (金)2:16 PM
“オイディプスは厳密には決定しえないものなのである。・・・それだけにいたるところに見いだされるものである。この意味では、オイディプスは厳密には何の役にも立たないというのが正しい。
・・・オイディプスは、精神分析が世界の責任を逃れるために手を洗う泉である。・・・潜在的なるもの、反動的あるいは反作用的[反応的]なるもの。”

「アンチ・オイディプス」G・ドゥルーズ著 確かに反=オイディプスである。
しかし、最近の自分のしていることは、ニーチェ、フロイト、マルクスを解体して再構築、いや、脱構築すること、だな。
‘自分が知っていると思っていたことは、ほとんど全て間違っていた。’
という嬉しい自覚。いや、しかし、断片を、材料を今までは集めていたわけで、何か役に立つ、有効なものを作り上げるのはこれからだ、と考えた方がいいかもしれない。


2003年 10月 1日 (水)11:27 PM
「知識人とは何か」エドワード・W・サイード著
サイードが、9/25に・・・死去、悲しいことに、してから、しばらく落胆していた。

が、頼るべき、まかせておけば大丈夫と思える人がいなくなってしまったことで、非力な自分でもやらねば、と、勇気を奮い立たせている人間も多いのではないか?

‘continue the struggle, continue...get over your petty personal differences with your colleagues and write and perform and continue unceasingly. It’s in your hands.’
サイードが娘に遺した言葉


2003年 10月 13日 (月)10:40 PM
“真理とは権力の機能(ファンクション)だというニーチェの立場について誰かコメント出来る人は?” サイードの講義中の発言 四方田犬彦氏の追悼文より

コメント出来るか? ・・・。

世すぎのための仕事を始める準備もあって、読書は中断している。

約半年間、長いといえば長い休暇であった。
思ったより進まなかったが、以前の自分とは違う自覚はある。


2003年 10月 20日 (月)10:34 PM
4/21分の内容につながるのだが、

恐怖と欲望が、人を行為に駆り立てる最大の動機であるなら、
現代の自由資本主義社会とテロリズムは、その表現であろう。
 
 恐怖と欲望に動かされないこと。

 テロリズムを根絶するというのなら、
恐怖と欲望に駆り立てられた行為を、やめる事。

 これは‘自然’への退行だろうか?
人類がその始まりからずっと恐れ、逃れようとしてきた‘自然への退行’だろうか?
 
 恐怖と欲望をコントロールすること。
これは...仏陀の教えだ。

欲望に動かされまいとして、欲望を抑圧し、恐怖についてはやせ我慢する。というのが、今までの自分のやり方だったのではないか。

欲望を再開発、開拓し、恐怖を、良く見ること。
良き欲望。良き恐怖。というものが、あり得るのではないか。


2003年 11月 9日 (日)6:42 PM
「帝国を壊すために」A・ロイ著
‘War Talk’などに発表済みのエッセイの翻訳だが、思いきった訳がなかなか良かった。
賃労働を初めて、なかなか読めなかったが、この位からぼちぼちはじめよう。


2004年 1月 22日 (木)8:51 PM
世の中の暗い面を見過ぎていないか?
邪悪な皇帝に対抗すべく、力を蓄えつつ在る勢力が在りはしないか?
その力に、さらに力を積み増すべく働ける可能性がありはしないか?
そう、可能性、まだそれを夢見ていいのではないか?

新しい年、・・・身体も元に戻った。
新しい気持ちで、・・・いこう。