「構成的権力 ? 近代のオルタナティブ」1 | 宮本浩樹のブログ ― アーカイブ ―

「構成的権力 ? 近代のオルタナティブ」1

「構成的権力」ノート


1)構成的権力 ? 危機の概念

国家の権力を組織する根本的規範を指示する権力。
政治という概念そのものと同一化する傾向にある。
無から出現すると同時に、法のすべてを組織する権力。
全能的権力としての構成的権力(pouvoir constituant)は、革命そのものに他ならない。
システムの生命力が噴出する源泉。
チェックアンドバランスの立憲主義的思想にまぎれもなく対立する権力。
民主主義的意志のラディカルな表現のしるし。
民主主義的な思想と実践の母体。
過去は現在を説明することはできず、現在を説明するのは未来であるという思想。
構成するというのは維持するということのまさに反対のことなのである。
最も絶望的で最も容赦のない否定ほど構成的権力に似ているものはないという発見・・・
自らを制度化しようとするのではなく、倫理的存在、社会的存在、共同体といったように人間の存在に何かを付け加えようとするもの。
法の内的な源泉、法の改正や憲法の刷新のダイナミズムと混同されてはならない。
近代性の限界の彼方へ
その概念の理解のための唯一の道は、我々自身の欲望をそれを支える千の地層化を通して理解するという道をおいて他にない。

国民国家の概念に組み込まれ、代表制機械の中に吸収されることによって切り縮められ、窒息させられる。
代表制とは、民主主義的な刷新に対立する伝統的な覇権を復活するもの。

法学(法的秩序)が構成的権力に押し付けようとする関係は、常に無力化、ごまかし、あるいは意味の剥奪といった方向に向かう。

真理に適応するために、何らかの解決を求めるのが重要な問題なのではなくて、その概念(構成的権力)の危機的性格をよく見極めて、あらゆる解決の仕方に潜む肯定できない中身、その解決を受け入れない本質といったものを把握すること。

構成的権力⇔構成された権力(主権)
基盤⇔頂上
目的のないもの⇔実現された目的
絶対的な手続き⇔形式的構成
民主主義的政府の概念⇔全体主義的概念
力の表現⇔権力の制度
生きた労働⇔死せる労働
「全体が部分に及ぼす作用、部分の全体の中における作用を説明するような因果律」を考え「閉ざされることのない全体。」という発想の証人となっている。スピノザ

革命を、「人間を取り巻く環境世界全体に働きかける文化的活動」とみなした。カント

その(構成の概念を絶対的手続きとして適合的に支えることができる)主体とは?
≠国民、民衆。
=構成的軌道を持った生産の力。いっさいの事前的決定から外れた時間。特異的な構成。
ここにおいて、政治は、自己産出的、集合的、非目的論的な生産となる。


2)「力量」と運 ? マキアヴェリ的パラダイム

力量(ヴィルトゥ)と「運」は時間を支配する明確な二つの装置として、時間によって律動を与えられる主観性の建造物として定義されるようになる。

力量は世界を構築し、同時にその固有の限界をも作り出す。・・・こうした状況の現実性は、その解決不可能な性質に他ならない。 ? 政治にはいかなる種類の解決も存在しないのである。

力量は、生に対立しながら強化される伝統や権力を徐々に破壊する能力を備えた生きた働きである。

力量は有効性として組織されるのであり、受動的な必要性あるいは衰弱した客観性としてではなくて、集合的理性(集合的身体)の企図として組織されるのである。

力量は、それが欲望と愛であり、非常に高次の自然的本能かつ倫理的条件、そしてまた合理性でもあるということがない限り、建設的な情念ではあり得ない。

藁漫?垰圓搬真?(マルチチュード)との統合の産出装置、また合理性、合理的再構成の母体。

ひとえにラディカルな民主主義だけが(そこでは絶対的な権力が多数者の中にそうした民主主義を具現することのできる絶対的主体を見いだす。)力量を全面的に展開することができるだろう。

力量は存在を構築するが、その存在は自らのうちに閉ざされることのない存在である。これこそまさに民主主義の原理そのものではないか。
力量は我々の自由の領土である。そしてそれは民衆が君主になり、構成的権力という絶対性が多数者によって具現されるにいたるまで、我々の自由の領土であり続けるのである。

唯一の問題 ? 力量と運を再統合し、構成的権力をその全ラディカル性において多数者のために作動させることができるかどうか。
起源の強度に達した力の地平の中で、まさに虚空から言語的表現が出現する地点において、我々が芸術と自然を下から統合することができるかどうか。そしてそこから我々が、系統的・建設的な力を潜在的に立ち上がらせることができるかどうか。


政治とは、緊張の蓄積であり、爆発への期待であり、既成秩序や、うち固められた諸々の調和の破断へと向けられた強力な、多元的決定の力が存在者の中に出現することである。

“腐敗した国家の中で、自由な統治というものは、もしそれが既に存在していたとすればいかにして保持し、また、それ以前に存在していなかったとすれば、どのようにしてそれを導入すればよいのだろうか。” マキアヴェリ「共和国論」

歴史は受動的なものではない、。歴史的時間は、空虚で自殺的な反復を宣告された時間ではないのである。それは逆に、再構築と創造の時間に他ならないのである。

“民衆は君主よりも失敗を犯しにくく、かくして彼等に君主よりも多くのことをゆだねることができると私は考える” マキアヴェリ「政略論」

“人間は絶対にあきらめてしまってはならない、なぜなら、人間は己の目的を知らないからであり、運ははっきりしない曖昧な回り道を通って働きかけるものであるのだから、人間はいかなる苦境にあっても、希望を持ち続ける理由、従ってあきらめない理由を常に持っているからである。” マキアヴェリ「政略論」

“人間が運の意図に逆らうことを運が望まない時、運は人間の視野を閉ざす。”
しかし、人はヒロイズムを実行しながら、同時にまた常に物事を透徹した目で見すえることもできるのだ。

ルネッサンスとは何であったか?それは自由の、生産の、建設し発明する行為の力量の、蓄積の可能性と能力の、再発見であった。しかし蓄積を通して富が構築され、定着した富が力量に対立することになった。このような力量の発展の退廃とその弁証法に抵抗する唯一の可能性は、この過程に対立する能力を持った(富の蓄積ではなくて、力量の蓄積を定着させようとする)集合的主体の創設である。

自由はそれ自体が原理でない限り、つまり作動する構成的権力でない限り、開放的でも建設的でもあり得ないし、恐怖政治にも、腐敗にも、教会にも運にも対抗することができない。

構成的原理-構成的権力

歴史的領野に統一性を付与したり、物事の秩序に意味付けする。
物事の秩序の基盤には行動と紛争があり、この紛争が歴史的過程に意味を付与する
存在はあまねく行き渡った分離によって組織される人間的実践によって構成される。
構成的原理が発見され組織されるのは分離を通してなのである。
断絶の方が統合よりも現実的なのである。構成的権力は絶対に瞬間的にしか(混乱、蜂起、君主といったものによって)実現され得ない。
構成的原理はそれにふさわしい主体との関係の中においてしか構成的権力にならない。
絶対的で避けて通ることのできないもの-マキアヴェリに見いだされたその最初の定義。


3)大西洋モデルと反権力思想

マキアヴェリのテキストの受容

国家はそもそも民主的に成り立ったということの絶対性、「不和」・「騒乱」・闘争の原理が持つ絶対的な力、これを認めるかどうか。

フィレンツェ
フィレンツェ・モデル(マキアヴェリの解釈)はブルジョア革命の目的、その危機、および危機を乗り越えるその能力を先取りした原型なのである。

古い世界は崩壊していると見る明晰な意識と新しい世界を構築しようとする予言的な意志との対立があったのである。

フランス
マキアヴェリはトータルに拒否された 。

イギリス(ジェームズ・ハリントン=共和国市民、マキアヴェリ主義思想家)
構成された権力に対する批判の仕方、社会階級分析の仕方、人民の軍を構成的権力と見る考え方とその実践を教える手引きとして 。
力量は改革、革命、自由な活動によって中軸化し、武装した民衆という形で具現する。

共和国とは
「単一者、少数者、多数者の三権力=徳性の混淆ないし均衡」でしかありえない。
物質的な基盤の上に立つ自由のシステムである。
新しく定義されたプロテスタント・マキアヴェリズム
どれほど完全なものであれ政治体制は必ず分裂し再構成されるといい、闘争をその物質
的で必然的な鍵とみなしたのはマキアヴェリである。

国家の腐敗とその宿命的な循環 - 運命の災禍、その粗暴さを打破するために新しい構成的権力が出現する。それはオープンな力であり、永久に解放されたシステムである。

腐敗が力量に勝つのは、近代的な所有関係が自然の平等性を打ち崩し、それを基盤にして権威の関係が歪んだ仕方で強化され、多数者の参加とその運動に反する形で定着し、恒久化されるからである

近代の思想は循環ではなく革新を本領とする全体性の上に構築される。
条件の欠如が構成的権力の基盤である。 断絶こそが発展の法則である。

蓄積とか腐敗を権力分配の要とするような体制を自由な体制と呼べるはずもない。

ハリントン - 反権力としての構成的権力

17世紀イギリスにおける資本主義生成の一面を示す、利潤の最大化とそのための政治的条件の追求を関心事とする彼等(レン、ホッブス)との対立。- 近代性の内部で、且つ資本主義の是認に反対して。

古代の知恵(人間でなく法の支配)- 混合政府(単一者、少数者、多数者)- 農地配分法(土地所有の社会主義的再分配)

思考から存在へ、哲学から政治へ、個人的機能から集合的機能へと移った存在論的で構成的なファンシー[fancy]とイマジネーションは、構成的権力以外の何ものでもない。

“政府の統一性はいかなる個人も意志を持たないという形態からなる。意志を持てば権力は腐敗する。”

マキアベリからマルクスへとつながる道。 - 近代の政治哲学の呪われた道。

暴力は存在の剥奪であり、絶対的にネガティブな権力の形態である。逆に、何ものかを形成する過程は存在の増大を決定付ける。


4)アメリカ憲法における政治的解放

構成的権力の地平をなし、国の形のパースペクティブをなすのは、もはや時間のコントロールではなく、空間の拡大である。
この空間、新しい現実、拡大の概念、不屈の意志とは何か。
空間はアメリカ的な自由、すなわち所有者の自由を構成する地平なのである。

「原則への回帰」 - 正当な課税と正当な代表という原則、これが反抗の神髄であった。

革命闘争の組織は単に利害得失に根ざすものではない。 - それは人間の変化に道を開くのだ。人間の内面世界、創造する能力、力の意志を変化させるものなのだ。
今や力量そのものが無尽蔵のフロンティアとして立ち現れる。・・・それは思い出を破壊し、新しい組織と新しい秩序を創造する。

権利は憲法に先行し、人民の自治はその形式化以前に存在するのである。

アメリカの構成的権力の新しさ - 社会革命の伝統的な概念の代理か - 何かしらが政治革命を経由して、国土の外縁を権力や社会的自由が拡大しうる場に変えると見ること。
これは破壊的な結果をもたらす幻想か、しかしその有効性の巨大なこと。

アメリカの構成的権力があらゆる憲法に先立って創設する一つの権利 - 自由な人間たちの新しい社会を構成する権力。

[・・・]

アメリカにおける憲法制定という出来事 - ブルジョア社会の政治的解放を生み出すために巨大な努力が矛盾の激化を伴いつつ費やされたことによる - 危機。

合憲性と主体性という二つの柱の整合性についての疑問。

“軍事的な気風と民主的な気風との間には隠れた関係があり、それは戦争によって発見される。” トックヴィル

領有から生まれ、多数者の中に広がり、潜在的に平等に通じる自由、そうした自由の強さ