「欲望の再開発」について | 宮本浩樹のブログ ― アーカイブ ―

「欲望の再開発」について

>>ひとつは、「財貨」の社会的生産がその規則を〈私〉を通じて欲望に押しつける道であり、いまひとつは、諸々の情動の欲望する生産がその規則を機構に押しつける道である。
P. クロソウスキー <<

前者は、資本主義的生産の現在の形態を指しています。
ニーチェの、「種々の記号を身体にじかに刻んで組織化する。」欲望を鋳型にはめて定形化する、「残酷の体系」とも通じています。

我々が自分の欲望だと思っているものも、よく考えてみれば社会的生産体制、現行の資本主義社会に無意識段階で適応させられているのではないでしょうか。
それは、実は他人の欲望なんじゃないでしょうか。

後者の「諸々の情動の欲望する生産がその規則を機構に押しつける道」
というのは、我々自身が、違った欲望を欲望する(「欲望の再開発」と私は呼んでいます。)可能性について言っているのだと思います。
自分自身の欲望を、取り戻すのです。