宮本浩樹のブログ ― アーカイブ ―

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おかしくないか?

高等裁判所の判事が、画期的な憲法判断に関わる判決を出してその三日後に自殺した。
http://www.asyura2.com/0610/senkyo28/msg/813.html
住基ネットからの離脱の権利を認めるという判決。

大新聞の扱いは一報だけ。

おかしくないか?

皆様、ありがとうございました。

長らくご愛読ありがとう。
雨風呂が嫌ってわけじゃないんだけど、諸般の事情で下記アドレスに引っ越す事と相成りました。

今後とも変わらぬ御愛顧のほどよろしく。

>http://h-m.bblog.jp/
ここでは今までやらなかった時事問題など書きたいと思っています。

では、皆さんさようなら。

ブロックブログに引っ越そう!

と思ったけど、面倒くさい。やめたやめた。
こっちで続ける事にする。

で、何を続ける?

今から考える。
ええやろ?

うおぉ~お!

ブログ、復活させるぞ!
がお~ぉ!!

で、俺のバナーはエーコなのかコッポラなのか?
どっちだ?
フニャコ!


トーニ・ネグリに質問!

ネグリの参加する衛星会議
http://www.saysibon.com/yoriai_sub/jinbutsuarchive/NEGRI.html

私はおもにニーチェと仏陀を読んできた在野の哲学者です。
人間の生死の実相を直に理解することに努めてきました。
アメリカによるイラク侵攻以来、これまでの枠組みで世界が捉えられなくなっている事を実感し始めた頃、あなたの「帝国」に出会い、これは革命を呼びかけるアジテーションのためのビラであると感じました。
それにしても、400ページ。邦訳で500ページのアジビラというのは長すぎるので、10ページ程に縮めた要約をつくってみましたが、せめて3ページ、できれば1枚にまとめたいと思っています。
苦労しています。
「マルチチュード」が邦訳されてしまうと、またそれを読んでから、になっちゃうしボリュームがまた増えちゃうだろうから今のうちにやっちゃいたいんです。
ヒントをいただけたら嬉しいのですが。

本職の文章をどうぞ

松岡正剛氏のネグリ紹介です。
よくまとまってます。

>http://www.isis.ne.jp/mnn/senya/senya1029.html

我々の課題

>我々の問題は、スピノザにとってと同じように、個々ばらばらの個人を一緒くたにすることではなく、むしろ、共同性の形態と手段とを恊働して構築し、〈共同的なもの〉の(存在論的)承認に導くという問題なのだ。

「個々ばらばらの個人」の
「魂」の独自性、特異性(シンギュラリティ)を、「スペクタクル」によって
撓め、無力化するというやり方ではなく、他者との関わりを「共同性の形態と手段」とを我々自身が、自ら「恊働して構築し〈共同的なもの〉の(存在論的)承認に導く。」という課題。


スペクタクルについては下記、はやしのブログをどうぞ
http://hblo.bblog.jp/category/spectacle/

「カウンターエンパイア」

>〈帝国〉が立ち現れることは奇妙な事だとは思わない。
それが必然だとしても、それに抵抗するのも必然でしょう。
「世界政府」「止揚された国連による世界統治」どれも御免蒙りたいものです。
“世界共産主義革命か、帝国か。”
これがレーニンの著作に言外に述べられていた選択肢だとしても、

我々が今日、形成すべき抵抗形態は、「カウンターエンパイア」にならざるを得ないでしょう。

>アメリカのリーダーシップは、ときにそれが現す帝国主義的傾向によって徹底的に弱められている。

のだとしても、
>合衆国は早晩、帝国主義的である事をやめ、〈帝国〉のなかに自己を再認識せざるをえなくなるだろう。

これは間違いないところでしょう。

>世界の現下の帝国的構成体に対置して国民国家を再現させようとするどのような試みも「欺瞞的で有害な」イデオロギーを表す事になるだろう。
>国民国家をどうして欺瞞的で有害なイデオロギー以上のものでないと考えうるのか私には理解できない。
国民国家の存在、その主権を前提としたファンタジーの複合的構成体「国連」に、なんらかの役割を負わせようという考えも馬鹿げたものとしか思えません。


下記の啓示板でも言いたい放題言ってます、参照してみてください。
http://f49.aaa.livedoor.jp/~think/cgi-bin/bbs.cgi

人々の自由の増大は、社会の無秩序の増大をもたらす。

<調達できる一切の政治的軍事手段を利用して、安定した世界平和をとおしてグローバルな秩序を保障するために〈帝国〉が立ち現れることは奇妙な事だとは思わない。>

アメリカ合衆国の建国の理念は、大西洋の反対側に大英帝国に代わる「帝国」を打ち立てる事だったはずです。
世界一高いビルは長い間「エンパイアステートビル」でした。

もちろんネグリの言う〈帝国〉は「アメリカ帝国」のことではなく、非-場所に存在する(特定の場所にあるとは言えない)概念の構築物の事です。

人も物も金も、国境を越えて自由に行き来する「グローバル化」は人々の自由の増大を意味し、それ自体が「悪」だとは思えません。それらの交通を調整し、秩序を保証する「権力」がどうしても必要であり、その「権力」自体は悪だとは思えない。という考えには同意せざるを得ません。

「〈帝国〉をめぐる五つの講義」より

まえがき 『帝国』に関する対話 より引用


>調達できる一切の政治的軍事手段を利用して、安定した世界平和をとおしてグローバルな秩序を保障するために〈帝国〉が立ち現れることは奇妙な事だとは思わない。
>しかし、アメリカのリーダーシップは、ときにそれが現す帝国主義的傾向によって徹底的に弱められている、と言えるように思う。
>おそらく、ほぼ間違いなく、合衆国は早晩、帝国主義的である事をやめ、〈帝国〉のなかに自己を再認識せざるをえなくなるだろう。
>世界の現下の帝国的構成体に対置して国民国家を再現させようとするどのような試みも「欺瞞的で有害な」イデオロギーを表す事になるだろう。
>国民国家をどうして欺瞞的で有害なイデオロギー以上のものでないと考えうるのか私には理解できない。
>〈生〉の見通しが延長され勤労者の〈知〉とモラルが豊かにされるのは、私にはいいことのように思われる。
>ほかでもなくここで、〈帝国〉はそれ自体善として自己を提示しているわけだ。
>我々の問題は、スピノザにとってと同じように、個々ばらばらの個人を一緒くたにすることではなく、むしろ、共同性の形態と手段とを恊働して構築し、〈共同的なもの〉の(存在論的)承認に導くという問題なのだ。
>マルチチュードが〈帝国〉に対してこれからすることについては、自分は、グローバルな諸運動の闘士たちが考え行う事にすすんで自らを託したい。
私の言う事を信じて欲しい。
彼ら闘士たちは、子供の頃から、我々なんかよりずっとずっと聡明で有能なのだ。

次回はこれらに逐語的コメントをつけてみようと思っています。
「信じようと、信じまいと。」やります。

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